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第9話 裏切りの始まり

Author: marimo
last update Last Updated: 2025-12-25 20:55:52

 亮が亜里沙と食事をした夜から、ほんの少しだけ彼の態度は変わった。

 それは誰も気づかないほどの些細な変化だった。

 けれど、楓は敏感に察した。

 翌朝。

 亮はいつものように楓を抱きしめたが、その腕はどこか緩かった。

 キスはしてくれたが、唇が触れている時間が短かった。

 そんな小さな違和感が、積み重なるたびに楓の胸の奥で冷たい波紋になって広がっていく。

 ある夜、楓が仕事を終えて亮のマンションに向かうと、

 玄関に入った瞬間――ふわりと香った。

(……また、この匂い)

 甘く、どこか官能的で、楓のものでも、市販のものでもない香り。

 亮のスーツに微かに残っていた“あの香り”と同じだ。

「あ、楓。帰ってきた?」 リビングから亮が顔を出す。

 だが楓は、すぐに訊ねることができなかった。

(仕事の女性かもしれない。会議室で誰かの香水がついただけかもしれない)

 必死に理由を並べる。

 信じたい――その気持ちが、疑念をかき消そうとしていた。

「遅かったな。疲れただろ?」

 亮は優しく笑う。

 その笑顔を向けられただけで、楓の心は一度揺らぎ、疑う自分を責めてしまいそうになる。

「……うん。ちょっとね」

 楓は亮の胸に顔を寄せた。

 だが、その胸の奥に染みついた甘い香りが、逆に彼を遠ざけていく気がした。

 その数日後。

 亮からの連絡が、また短くなった。

『打ち合わせ入った。遅くなる』

『今日は疲れたから寝る』

 文章から温度が消えてゆく。

 以前は必ずつけていた絵文字はなく、そっけない短文だけ。

(……亮、最近やっぱり変。……ほかに女ができた…?)

 夜。

 楓は、寝室でひとり、スマホを握りしめたまま横になった。

 あの香水の匂いを思い出し、胸の奥がきゅっと痛む。

 そして、ふと気づく。

(そういえば……最近、亮から触れてくれる回数が減った)

 抱きしめる力も、キスの深さも、“会いたい”と言ってくれる頻度も――

 まるで、少しずつ削り取られていくように。

(私の気のせい……なのかな)

 自分を責めるように、楓は目を閉じた。

 翌週。

 亮がシャワーを浴びている間、楓は洗濯物を分けようとスーツに手を伸ばした。

(……え?)

 スーツのポケットから、小さな紙片が落ちた。

 それは――

 高級ラウンジの会員制カードの控え。

 そして裏には、見慣れない筆跡で名前が書かれていた。
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